It's My Personal Pages

1999/02/25 冬の或る日・・・

たしかあの日は冬の夕方(?)、小学生の1、2年生の下校の時だっただろうか・・・・。
その時は、いつもとは違う道を歩いていた。ほかにも下校途中の生徒が歩いていた。

私は、手袋を回していた、といってもそれだけでは回せるはずがない・・・・。
なぜなら、両手の手袋には、肩・首から長くのびたゴムひもが、つながっていた。
それの端を持って私は、とにかく、ぐるぐる、ブンブンと回していた。

でもその動きは、後ろの方で何か引っかかるように止まったのだ。
「ガウ、ガウ、ガウ」の声とともにイヌが、手袋に噛み付いていた・・・。

すぐに飼い主の人が駆けつけ、イヌを引き離そうとしたが、なかなか離れない。
自分も怖がりながら、手袋を引っ張っていた、でも噛み付いて離れない・・・。
近くを通りかかった小学生のお兄さん(?)が、状況を見て雪だま(?)をイヌにぶつけて、
それでようやく離れたのだった、そして飼い主の人は謝ってその場をイヌともに去っていった。

そのあとの手袋は、ボロボロで捨てることになったが、よく考えてみれば
振り回している手袋にじゃれるような形で、イヌが跳びついたのだと思う。
その時からだろうか・・・。「吠えるイヌ」が嫌いになったのは・・・・。

1999/03/01 ブンブンブン~

たしか保育所か幼稚園に行ってた時のころだと思う・・・・。

その日は、たぶん曇っていたようで(そうとも言い切れないような)、
私は朝の出かける準備をしていた・・・。

さてというところで、きょう履いていく「長ズボン」がなかった。

そのことに気がついた母が、外の窓際の物干し竿にかかってあった「長ズボン」を下ろしてきた。
それをごく普通に履こうと思い、足を入れた瞬間!
(どっちの足を先に入れたか、忘れてしまった・・・。)
<チクッ(?)>っという激痛が、走ったのだ!!

その後には、泣いていたと思うが、すぐにその「長ズボン」を、脱ぎ捨てた。
足(太もも)を見れば、プク~っと張れあがっていたと思う・・・。
実は、「長ズボン」のなかには、「ハチ」が入り込んでいた。
そしてそれを知らずに、足を突っ込んだわけだ。

結構泣きじゃくっていたし、かなり痛かった記憶がある。。。。
それに結局は、出掛けなかったような。。。。

いま思えば、「大きいはち」=「スズメバチ」クラスじゃなかったのは、確かだったし、
それ以来、「虫・昆虫」の類いが、この世の中で一番嫌いなものになってしまった。
(手にとって触るのが、イヤだ!!)

特にいまでも一番嫌いなのは(誰でもそうだろうが・・・)、「ゴキブリ」である。
あれを見つけるたび、背筋がゾクゾクして、気持ち悪いのだ。
その場から居なくなるのをジッと、待っている人なのです・・・。

今からでは早すぎる悩みなのだが、子供がもし「虫、飼ってもいい」と言われたら、
どう言おうか・どう躾(しつけ)ようか悩みどころである・・・。

2000/01/09 2000年問題・・・

新年(2000年)になって、はや明日で10日が過ぎようとしている。
なる前にはあんなに騒いでいた問題も、過ぎてしまえばなんてことはないものだった。

多少は期待していたこともあるが、ライフラインに関わるような大きなトラブルは起きていない。
たいした事はなくて良かったのだが、
その一方でニュースに見られるよなちょっとしたトラブルはあったようだが・・・。

それにしてもこの問題に便乗して商売する人もいるから、
「人間はなんて『ゲンキン』なんだろう」と思ってしまう。

まぁそれはそれで、景気回復につながれば良いことになるとイイのだけれど・・・。
そういえば、去年の「ノストラダムス」もこれっと同じような感覚に似てないだろうか?
そう思うのは自分だけかな?!(あんときも騒いでいたっけ、なんてことはなかったけど・・・。)
そしてまた次なる西暦問題があるそうな。といっても38年後のことだけど、知ってました?

2000/01/09 2000年の抱負?!

お星様、どうか私の願いを!

今年こそはと思いつついく年月か、「好きになってくれる人(彼女)」が欲しいです。
もうこの年になってしまって、なんだか焦りのようなもの感じて仕方ない毎日・・・。

もしお相手してくれる人がいるならば、会ってみたいものです。
そして、一緒に東京でも遊びに行っても見たいです。

かなわぬ願い、どうか遠くいる人を引き合わせて~、
それとタイプなんて贅沢は、この際言いませんので~。
(それにしても・・・だ~れかいないもんかな~(゜.゜)ボー)

2000/01/29 おもちゃコワイ・・・

たしか幼稚園のころか、それ以下の年の頃だったのかな~?
落語(?)の「まんじゅうこわい」ではないけども、
私はとあるおもちゃが泣き叫ぶほど怖かったのだ。

原動力としてはたしか、乾電池かぜんまいで動いていて、ピカピカ光ったり、
ウインウイン音を立てて動き回るせいか、それが妙に怖いものとして認識してしまったようである。
でもそれがどこかにしまわれていれば、なんてことはなく生活していたりもする。

今となっては、どうって事ないことかもしれないが、
その当時はかなりわめいていたから、相当なものだったのだ。

なぜ怖かったのかは解らなくなってしまったが、
今でも思い出すのは「そのおもちゃが怖い」という記憶だけである。

2000/02/01 あれから5年・・・

(もうちょっと早く書くべきだったのだけど・・・。)阪神大震災からもう5年が過ぎた・・・。

早く過ぎていったのか、遅くもあったのかはそこに実際に住んでいたものでないとわからないが、
あの当時の私も怖い思いをしていた。(神戸に住んでいたのではないけども。)

あの日のあの時間なぜがパッと目が覚めた、そのすぐだったか?
激しい揺れを感じて布団のなかで固まっていた。
数分間続いた後、「かなり大きな揺れだったけど震源地はどこだろう?」と思いつつも、
またそのまま寝てしまった。

朝起きてテレビを見たときはかなり驚いた。
全倒壊した建物、火事が止まらない町、救出活動が困難になっている人々、
それが時が経つにつれて被害が拡大していくのだ。

あまりにも天災は人間には無力だ。と痛烈に感じてしまった。

ただジッとテレビで状況を見ているのが精一杯で、
どうすることも出来ないと思う私がそこにはいた。(キレイごとかも・・・。)

今年になってようやく、仮設住宅から住む人がいなくなった。

これは少し喜ばしいことではあるが、でも人々の心の中には
消そうと思っても消せない傷になってしまった。

あの日から見れば神戸の街も復興したように外観からは見えるが、
ところどころでいまだ癒せないホコロビを今後どうやって改善していくかが
課題重視されるところであろう。

2000/05/18 転職のこと

こんなこと神頼みしても無駄に終わるかもしれないな~。
こういうことは自分で決めて解決しなくてはならないことだ・・・。

それにしてもムズカシイ~。。。
自分のやりたいことだけでは仕事はできないと言われてしまった。
そんなに世間は甘くないのだ。即戦力的人材の時代でもあるのだ。

コンピュータ関係を職にと思っていたのだが、自分のレベルに合った職種が無いに等しい。

なぜならプログラマー・システムエンジニアなどは、
開発言語といったものを習得していなければならないし、
ただの事務での伝票打ちなら、女の子でもできると言われてしまうし、
単なるホームページ製作なら趣味の範囲でできてしまうから、
それで仕事にはならないのでは?と考えの甘さを指摘されてしまった。

「いまさら他を考えるには」とも思うのだが、
自分の中では「これが天職だ!」と決め込んでいる部分もある。
自分がやりたいことでなく、自分がどれだけ出来るかを求められている。

さてこれからどうしたらいいのか・・・?と今、完全に困惑している。

2000/07/05 指折り数えて・・・

子供の頃とかに、こんなことを考えたことはないだろうか?
『数十年後の自分は何をしてるのかな~?』

こんな私も、小さい頃はよく考えていたもので、
2000年には自分は何歳になってるかな?と指を折って数えたりもした。
今、指折り数えた歳になってしまったが、昔とあまり変化がない私がいることに気づかされてしまう。

多分この未来もそんなに私の周りも変化することなく時が過ぎていくのかな~?
はたして10年、20年後の私はいったい何をしているのか・・・。ちょっぴり楽しみだとおもう。